Record of Our World
02.暴かれた謎
「あ、ご、ごめんなさい、私まで…。何度かお話してたから大丈夫かと思い込んでました…」
「まぁまぁ。イデアさん。彼女は僕の彼女なので、何があろうと貴方に深く関わることはありませんから」
「ねぇ今拙者すこぶる失礼なこと言われた?」
「それで、今日お伺いしたいことなんですが、ある本のことでして」
「ガン無視とはいい度胸だよねアズール氏、さすが」
僕とイデアさんの間に挟まれてアワアワとする彼女に椅子を進めて座るように促し、僕もその隣に腰をかける。
ややあって、大きな溜め息を吐いたあと、イデアさんも僕らの前の椅子に腰を下ろした。
イグニハイドの談話室はいつきても静かだ。
「…はぁ…何が聞きたいの。僕がアズール氏に教えられることなんて」
「魂について、伺いたくて」
「……」
「シュラウドの方なら知っているじゃないかと」
「しゅらうど…?」
先程よりも深く深く息を吐きながら、イデアさんは身体を前のめりに曲げた。
それを「快諾」と捉えた僕は、先日、自分たちの身に起こったことを話して聞かせる。言葉は一切発しないものの、時折ピクリと反応するイデアさん。何か知っていたらといいのだが、と思いつつ、最後まで話終えた。
「…そういうわけで、僕らをあのようなめに合わせた書物の行方が少しばかり気になっているのです。何か少しでも思い当たることがあったら教えていただけませんか?もちろん見合った対価はお支払いします」
「……アズール氏ならわかると思うけど」
「ええ、なんでしょう」
「面白半分で首を突っ込んでもロクなことはないよ」
「僕がそのようなことをするとでも?」
「…ですな」
珍しくキッと釣り上がった黄色の瞳が僕を捉え、それから諦めたようにフッと閉じられた。
「対価はいらない。でも、聞いたことはここだけの話として忘れて」
「忘れられるかの保証はできませんが、外で話さないことはお約束します」
「私も!」
「…わかった。……二人はさ、『心鏡』って言葉知ってる?」
「しんきょう、って心の鏡のことですか?」
「そ」
「曇りなく澄んだ心、ってやつですね。それが何か」
「本来の意味はそうなんだけど、問題は言葉通りの意味の方。心は鏡のようなものって言うでしょ。そっちの」
「んっと…?」
「魂の中に取り込まれたってことはさ、一種それと同じ現象なんだよね」
「…つまりイデアさんが言いたいのは、あの書物は禁書や本という物体…ではなく、鏡の役割を果たしていたと?」
そのセリフを受けて、イデアさんは「ビンゴ」と肩を竦めて両手を上に向けた。
「ニトクリスの鏡、浄玻璃の鏡…それにうちの学校にある鏡もそうだけど、鏡ってのは昔っから『この場所とここではないどこか』を繋ぐ役割を持ってる。まぁもちろん、それが『どこか』に繋がるためには、条件だったり呪文だったり、そういうものが必要になるわけだけど」
「呪文は、私が読み上げた」
「そ。それをきっかけに、心…魂へ通じる鏡が開いた、そういうことでしょ」
「なるほど…」
「魂って言えば形のないものって思われがちだけど、実際、魂には形があるんだよね」
「え、そうなんですか?」
「君たちがどこまで知っているのかはわからないけど」
「シュラウド家は冥界と繋がりがある良家なんですよ」
「…アズール氏はほんとに何でも知ってるよね……はぁ…」
「お褒めに預かり光栄ですよ!」
「褒めてない……」
イデアさんは心底、「そこに触れてくれるな」といった嫌そうな表情をする。
「僕の家系についてはどうでもいい…。ただ、魂ってものについては君たちより詳しいとは思う」
「そもそも論ですが、魂ってなんなんでしょう?」
「それを説明するには骨が折れすぎるから…。君みたいなパンピーでもわかるように簡単に言えば、」
「イデアさんだって十分失礼じゃないですか!ヒトの彼女をなんだと」
「あーごめんごめん、話の腰を折らないでアズール氏。で。そう、生き物にとってのシンボルみたいなもんなわけ」
「魂が、シンボル?」
「そう、シンボル。例えば、とある宗教では、鳩は精霊のシンボルになってる。それから、柘榴は冥界の鎖みたいなね。そういうものだよ。鏡だってただのシンボルだ。形はそんなに重要じゃない。書の形でも同じ現象が起こる可能性はある」
「えっと…」
困ったような表情で僕の方を見る彼女は、普通の人間であるからこその疑問を口にした。
「死んだらなくなるのは身体で、死んでもなくならないのが魂、というのは違うってことですか?」
「それを『違う』と否定すること自体が違うんだ。シンボリックなものは象徴であって目に見えるものじゃない。だからなくなるもなくならないも、ない」
「…なるほど…?」
「貴女ね、わかってもいないことに対して『なるほど』と言うものじゃないですよ」
「あは…バレました?だって話が難しいんですもん…」
「難しい、と言うと、言った時点で思考が停止するらしいですよ」
「すぐ話の腰を折りますなアズール氏は」
やれやれ、と。やっといつもの調子に戻って、イデアさんは徐にポケットから棒付きのキャンディーを取りして口に放り込んだ。
しかしながら、僕は一連の話を聞いていて、思った。一番知りたいことをはぐらかされているなと。
もう少し概念の話を窺うのも悪くはないのだけれど、そろそろ核心に触れたい気がする。
そんなことを考えていたら、彼女の方が引き続き言葉を発した。
「イデア先輩、本が鏡でその先が魂だったってことは、私たちは一時的に死んでいたってことでしょうか?」
「僕はその場に居合わせたわけじゃないから、詳しいことはわからない。でも、下手をしたら君たちは戻って来られなかっただろうね。ちなみにだけどさ、その世界で、君たちは何を見つけたの?」
「私たちが見つけたのは、記憶ですよ」
「いや、そう言うことじゃなくて。何か持って帰ってきたものとかないの」
「さっきもお話した通り、鍵だけですよ」
「他には?」
「…他はないと思いますけど」
「あ!でも、」
そう言って、彼女が自分の手を自分の胸にそっと当てた。
その様子に僕もピンときて、なるほどこっちが本物の土産だったかと腑に落ちる。
「この心臓、持って帰ってきたものかもしれないです」
「ああ、そう言うこと」
「……やはりイデアさんにお話を聞いて正解でした」
「…あ、そ。じゃあもう終わる?この空気のまま部活やる気になります?もう今日は終わりで良いのでは?」
「そうですね。今日は彼女もいることですし、部活は御開きとしましょうか」
「ですが最後に一つ」
「はあ…まだあるの…?」
「ええ。僕が聞きたい最後の一点は、」
『ではあの本は、一体誰がここに持ち込んだのか』
その一言を聞いて、一瞬呆けたイデアさんは、次の瞬間、それはそれは悪戯めいた顔でニヤリと口を歪ませた。
「アズール氏は、誰だと思う?」
僕の頭に浮かんだのは、ただ一人。
黒い仮面の下にどんな表情を隠しているのかわからない、あの。
「本当に、どこまでも喰えない人だな…」
「?」
「ヒヒッ、あの人を信じていいわけないでしょ」
「??」
この推測が正しければ、恐らく彼は彼女を。
この世界から逃さないつもりなのかもしれない。
「まぁ、貴女は僕の番ですし、元よりそのつもりですけれどね」
ここはツイステッドワンダーランド。
捻れた世界に来てしまったら、どうやっても元の通りには戻らない。
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